≪丁寧に生を慈しむ≫ Wさん
丁寧な暮らし、という言葉をメディアなどでよく目にするようになりましたが、私にとってはこのマインドフルネスが自分自身とその瞬間、瞬間に与えられた時間に丁寧に接する最もなものだと感じています。 もしからしたら丁寧な、なんて言葉は要らずこの瞑想法が説くように人本来の姿は諸動作と心が共にあるとてもシンプルなかたちであるのかも知れません。幸か不幸か現代は情報過多であり、一番身近である自身の感情が置き去りになっていることがあります。もともと、感情の落ち着きのなさ(これはこれで感受性が豊かだから、と先生に仰っていただいたのも嬉しくて覚えていますが、笑)をどうにかしたくて始めた瞑想でありますが、今は直すといった観点を飛び越えて純粋に人であること、生を慈しむことに変わりつつあります。これから先の旅も楽しみです。
≪オンライン瞑想レッスン/月1朝活で学んで≫ Mさん
木曜夜の「オンライン瞑想会」は、瞑想の実践の場ですが、「月1朝活」は、それだけでは不足しがちな瞑想の理論や、いろい
「振り返りシート」の記入など課題もあり、
そこで学んだことを、また実践で試みるわけですが、私は、
「月1朝活」
習う側が少しずつ変化しているので、リピートしても、
≪呼吸は一回一回違う≫ Hさん
マインドフルネス瞑想の講座に参加し始めた頃、目から鱗が落ちたのがこの言葉だった。
呼吸すらコントロールしなければ!と意識下でうっすらと思っていたことに気付かされた。
更に、
呼吸に意識を向けるとは、呼吸が毎回違うことに気づくこと。
呼吸との一期一会に意識を向けるということが、とても新鮮だった。
確かに呼吸は一回一回違う。
呼吸だけでなく、感情も刻々と変化するし、体調も変わる。
それに意識を向け続けられるか。変化に気づけるか。
気づけたとして、思考や理屈に逃げることなくあるがままを受け入れられるか。
内側を揺らさずにいられるか。
これが、瞑想を通じて問いかけられていることなのかなと感じている。
世の中で一番ストレスフルなものは対人関係だと言われるけれど、細やかな意識を向け続ける必要があるのは、自分自身なのだと思う。
瞑想するうちに、思考が凪いだ状態になる。
思考が凪いだ場所では、呼吸と身体感覚だけになる。
今ここに在り続けるとは、なんてすっきりした状態なのかと思う。
私は、一定時間今ここに居ることができて初めて、頭で考えた感謝ではなく、身体の深い場所からの感謝に包まれたような気がしている。
🧘 🧘 🧘
瞑想を一年続けて、最も難しいと感じていることは、「あるがまま」を受け入れたくない、見たくない気持ちに気づいていくこと。
数日前、朝からもやもや感Maxの日があった。
もやもやしながら、いつものように歩く瞑想をした。
身体に意識を向けていくうちに、背中の、いつもと違う場所の凝りに気づいた。
ずっと凝りを感じていくと、「不安」という感情が湧き起こってきた。
「不安を感じる」と口にしたら、もやもやに風穴が空いた気がした。
どうしても「不安を感じている自分」に気づきたくなかったんだなあと思った。
ネガティヴな感情が沸き起こると、瞬時に「モグラ叩き」ならぬ「ネガティヴ叩き」をしていることを自覚した。
無意識のネガティヴ叩きに費やすエネルギーは計り知れないほど大きい。
不安を認めた途端、気分が上向いた。
「あるがまま」に気づいていった先に、なにがあるのか。
それを知りたいなと思う。
だから、これからもマインドフルネス瞑想の学びを続けたい。